旅好き爺の旅行記
A photo journey by an old man who loves to travel

愛知・岐阜への温泉旅

8月18日(日)から21(水)にかけて3泊4日で愛知県と岐阜県の温泉を巡ってきました。

8/18(日)
朝6:00に自宅を愛車出発し、途中足柄SAで朝食をとり、最初の目的地である岡崎城を目指しました。

岡崎城は15世紀に西郷頼嗣が築城したのが始まりとされていますが、1531年に松平清康(徳川家康の祖父)が現在の地に移して岡崎城といわれるようになりました。徳川家康は1542年のこの岡崎城で誕生しました。家康は6歳で織田信秀、8歳で今川義元の人質となり幼少期を過ごしましたが、1560年の桶狭間の合戦で今川義元が戦死したことで19歳から自立し、この岡崎城を拠点に戦国大名としての基礎を固めました。
城郭の大部分は明治初期の取り壊され、現在の天守は1959年にほぼ昔通りの外観で再建されたものです。

愛知といえばうなぎなので昼食は岡崎城の近くの河原町にある「はせべ」という店でうな丼と肝吸いを注文しました。

表面はうなぎの油で揚げられているようなカリカリという食感で、身にしっとり感があまりなくどちらかというと関東でいつも食べているうなぎのかば焼きのほうが私には向いているようです。食後は近所にある大樹寺に行きました。

大樹寺は1475年に創建された浄土宗の寺院ですが、松平家と徳川幕府の庇護のもと隆盛を誇っていました。桶狭間の戦いでは徳川家康は今川軍の大高城を守っていましたが、今川軍の敗戦を確認した後、戦場をはなれ大樹寺に身を寄せていました。祖先の墓前で切腹を図ろうとしましたが当時の住職が「厭離穢土欣求浄土」(現実の世の中は、穢れた世界であるからこの世界を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願い求めること)を説き切腹を思いとどまらせたとのことです。この教えの旗印のもと寺僧とともに戦い追っ手を退散させ、以降「厭離穢土欣求浄土」を旗印としたようです。
この山門は三代将軍家光が創建したもので、本堂側から見ると一直線上に岡崎城の天守閣を見ることができます。

鐘楼と本堂

本堂内部

本堂から奥は拝観料が必要で内部は写真撮影が禁止されていますが、受付の人が目をつぶってくれるとのことだったので、1枚だけ内部の部屋の見事な襖絵を撮影しました。

庭には家康公御手植えの椎の木があります。

一番奥にある部屋には家康から14代将軍家茂までの等身大の位牌が安置されていますが、大部分は160㎝未満で中でも5代将軍綱吉は小人症だったようで124㎝しかありませんでした。極端な動物愛護令「生類憐みの令」を出したのもこれが背景のようです。
境内には1615年に家康が建立した先祖松平8代の墓があり、手前の大きなものは1969年に岡崎市民が家康公の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立したものです。

岡崎市内の観光を終え、今夜の宿である西浦温泉の旬景浪漫銀波荘に向かいました。

部屋の窓からは三河湾が望めます。

1998年に海岸から1.5km離れた地下1,200mの場所に新しい湯脈が見つかりました。海岸地帯には珍しい塩分・カルシウム分の少ないアルカリ性単純泉です。写真は旅館のHPの写真をスクリーンショットですが、風呂からは三河湾の絶景が見れました。

今回は温泉地に3泊ということで懐石料理が続かないように今晩は鉄板焼きのダイニングのコースにしました。写真は一部ですがとても丁寧な盛り付けで美味しかったです。

8/19(月)
朝食後ホテルをチェックアウトしてから犬山市に向かい、今日の昼食も蓬ぜんという店でうなぎにしました。

ひつまぶしの並盛にしましたが写真のようにかなり食べ応えがあり、表面はカリッと、中はふんわりしていてよい食感です。食べ方のマニュアルに従ってお茶碗で一杯目はそのまま、二杯目は薬味をかけて、三杯目はお茶漬けで、四杯目は好きな食べ方でということなので続けてお茶漬けで食べました。大変美味しく満腹感で満たされました。小盛があればそれでも十分なくらいです。

食後は国宝犬山城に向かいました。現存する天守閣は12ありますが、そのうち国宝は松本城、彦根城、姫路城、松江城とこの犬山城の5つとなっています。犬山城は織田信長の叔父の織田信康が1537年に築城したと言われています。1584年の小牧・長久手の戦いでは、秀吉方の池田恒興の急襲を受けて秀吉軍と織田・徳川軍が尾張に集結するきっかけとなりました。その時は秀吉軍は大軍を率いてこの城に入城しています。

入口の所に場内は冷房設備がなく、急な階段があり体力が必要なような注意書きがありましたが、先ほどのひつまぶしを消化するために最上階まで体を鼓舞して上がりました。戦国時代の武将も同じ景色を見たと思うと感無量です。

犬山城を拝観した後は今夜の宿である下呂温泉にある「懐石宿 水鳳園」に向かいました。

宿に到着し休憩したあとで早速温泉へ。下呂温泉は1000年の歴史を持つ、有馬、草津と並ぶ「天下の三名泉」の一つです。泉質は無色・透明なアルカリ単純泉で非常になめらかですべすべ感のあるいいお湯です。下記の写真は旅館の1階にある内湯と5階にある露天風呂のHPのスクリーンショットです。

食事は宿の名前の通り懐石料理です。ちなみに亭主手書きのお品書きの上にあるナプキンは持ち帰ることができます。

写真は鱧のお吸い物と飛騨牛サーロインの鉄板焼きです。飛騨牛は上品な脂がのりとても美味です。

8/20(火)
朝食後に宿のそばにある朝市へ。朝市といってもお土産屋さんの集まりのようでした。栃の実煎餅のお店では焼きたてで30秒で硬くなる煎餅を購入し柔らかいうちに食べると違った食感が味わえます。

朝市を見学した後に飛騨高山の高山陣屋に向かいました。飛騨高山は1692年から江戸幕府の直轄領となり、幕府から代官が派遣されこの陣屋で執務を行っていました。

陣屋内部はかなり広く見ごたえがあります。見学後は橋を渡り向かいにある古い町並みが残る通りに行きました。川の水も透き通ていてきれいです。

人影が少ないときに撮影しましたが、通りは海外からの観光客でごった返していて、特に日本酒の造り酒屋では試飲コーナーにたくさん並んでいました。海外でも日本酒ブームなのでしょう。
次に向かったのは岐阜県最北部にある飛騨古川です。途中の道の駅アルプ飛騨古川に隣接した製麺所のある「めん処ほりのうえ」で天ぷら入りころそばを食べました。ころそばは主に中京圏で食べられている麺類に冷たい汁をかけた料理です。これで1000円なのでお得感があります。ちなみに天ぷら入りころうどん、天ぷら入りころ中華もあります。

飛騨古川は白壁の蔵のある昔の街並みがあるところで飛騨高山より観光地化しておらず。ゆっくりと昔の街並みの雰囲気を楽しめる所です。

通りに面した古い町並み

蓬莱という造り酒屋

散策後。今夜の宿がある奥飛騨温泉郷の福地温泉にある「元湯孫九郎」に向かいました。福地温泉は第62代村上天皇(946年~967年)がお忍びで療養したとされる天皇泉ともいわれているので歴史のある温泉のようです。標高1,000mの高地にあり夏の温泉地としては最適です。

この孫九郎は2つの異なる自家源泉を持っています。内湯はナトリウム炭酸水素塩泉でいわゆる美人の湯で肌がしっとりとします。飲泉もでき成分は市販の胃腸薬とほぼ同じだそうです。下記の写真は旅館のHPのスクリーンショットです。加水・加温・がない1分間に60ℓが流れる源泉かけ流しの本当の温泉です。

露天風呂は単純温泉ですが、鉄分が含まれているため緑白色の濁り湯となっています。下記の写真は旅館のHPのスクリーンショットです。

夕食は地元の食材を主に使った山奥ならではの田舎料理風でした。

8/21(水)
朝食後は近くにある新穂高ロープウエイに向かいました。まず第一ロープウエイで新穂高温泉駅から鍋平高原駅へ、徒歩数分のしらかば平駅から第二ロープウエイで西穂高口駅に。第二ロープウエイは二階建てで驚かされました。

西穂高口駅の屋上にある展望台からは北アルプスのパノラマが見ることができますが、あいにく山頂部分は残念ながら雲で隠れていました。

標高2156mにある日本最高所のやまびこポスト、通年利用できるようです。

槍の回廊から槍ヶ岳方面の景色

再び新穂高温泉に戻った後はひたすら自宅に向けて一般道で松本ICまで行き、長野自動車道、中央自動車道を走り、途中少し渋滞がありましたが、18:00ぐらいに帰宅できました。

今回は愛知・岐阜県の3つの温泉地を巡る旅でしたが、温泉につかり、おいしい料理を堪能できた満足いく旅となりました。

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